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Showing posts from June, 2016

町長からの町内放送(院長辞表の受理について)

昨日、19時30分頃、自宅で食事をしていたら突然の放送が流れました。
(地域で生活されている方はイメージがつきやすいと思いますが、町内の無線で放送が流れる地域です)

町長より

何度も慰留に努めましたが、院長の辞意の意志が固く、辞表を受理する

今後は、残っている医師と協力して医療の継続に努める

という内容です。

 不思議な点があります。

「何度も」とありましたが、6月になって院長が辞表を提出して慰留に来られたのは3回だったと記憶しています。(そのうち一回は町長不在のため副町長来院)
 しかも内容は、
 「公約のもと、職員にアンケートをとりたい」
とのこと

 院長が辞表を出す前、前回の問題があったあと、院長と町長が直接顔を合わせて話をしたのは3ヶ月から半年に1回程度。
これで、協議を重ねて独立法人化・病院改築に向けて話を進めている(委員会はありましたが)といえるのか。
 これを「何度も」慰留したと表現していいのかわかりません。

さらには、今まで2年半協議はほとんど何も話が進まなかったにもかかわらず、
6月29日に最後の慰留に来られて、その翌日に議員に招集をかけ、その後役場職員の一部を招集かけ、夕方に町内放送をする。
 あまりにも、手際が良すぎる。それだけのことをリーダーシップ取れるなら、今までもグングン回りを引っ張っていけたでしょう。

不思議です。

救急隊との勉強会 番外編

昨日は、いつも行っている院内開催の救急隊との勉強会ではなく、
救急(消防)隊が不定期に開催している彼らの勉強会に呼んでいただいて、
話をさせていただきました。

テーマは
「医者を味方にする伝え方!」

です。鎌倉で働いているときは、いろいろな病院を断られて、○件目でここに連れてきました。ということがよくありました。理由は様々です。
1.患者さん背景が複雑で病院として受け入れられない
2.病院が混んでて受け入れられない
3.3次医療機関だから、それはうちではない
etc

でも、もう一つあるのは、的確に傷病者さんの情報を伝えられなくて、医師や看護師と衝突することもよくあります。

 昨日の勉強会では参加された消防隊の方からはあまりそんなことはないということでしたので、ここは、他に受ける病院がないというメリットもあるのかもしれません。

いずれにせよ、

「症状+緊急度」

を的確に医療者へ伝えることを中心に話しました。
それぞれ共通言語があり、大切な key wordがあること

それらを的確に伝えることが出来れば、スムーズな搬送ができて、
お互いに友好な関係が築くことが出来ると思っています。

最後に、それぞれの署に持ち帰って、お互いにシミュレーションをして下さいね!

と伝えました。どれだけお互いにやってくれるのか楽しみです。

医療者とそうでない人とのずれ

この1ヶ月、いままで3年間のことをいろいろと考えてます。

結局、このような結果になって一番憂いているのは

「地域医療」

に従事しようと思っている、または従事されている医療者なのではないかと。

 地元住民にとっては、『町の病院』があればいいわけで、いつもの処方をしてくれて、
できることなら、24時間365日時間外対応もしてくれる

そんな病院があればいいのです。もし、無理なら時間外は目をつぶる。
そういうことです。

今回のことで、「地域医療」の教育機関がなくなる損失について敏感なのは
医療者だけなのではないでしょうか。
そして、そういう機関がなくなることで、
 将来的に医師不足→医師確保困難→最低限の医療の担保も困難
という図式が理解出来る方も憂いているのではないでしょうか。

 住民の方にとっては、どんな形であれ、「びょういん」があればいいのです。
そこにどんな医師がいるかどうかの判断はわかりません。
 「目の前の医師が自分と合うかどうか」
が判断基準ですから。
それは、都会であってもそうです。都会のほうが
「○○病院に受診に来ているから安心」
と思っているのかもしれませんが。

このずれは、見識者が熱く語っても、伝えようとしてもなかなか伝わらないことかもしれません。耳を傾けてくれようともしないかもしれません。
 住民にとっては目の前の「いりょう」がアルorナイのことが一番の問題ですから。
その先の「地域医療の将来」や「地域医療のための教育」というのはその次です。


何人かの医師が残ったとして今の業務量は困難だと思います。もし7人いる医師が3人になったとして、今の仕事をしようと思うと単純計算で

 一人あたり2倍以上

働くことになります。

当直は月に10回(弱)

体力のあるうちは出来てしまうかもしれませんが、いつまでもつか。

病棟を減らせばいいんじゃない?
となれば、減らしたはいいけど、高齢者の数はまだ20年減らないわけで、入院できない人はどこに行きますか。
 元気だけど独居で生活が困難な人たちがすこし体調が悪いといっても、
ベッドに制限があるため入院での経過観察など出来なくなるように思います。


「町にあった病院を作る」

 どうぞ将来を見据えて町にあった病院を作って下さい。医療者専門家の意見を取り入れないで考えた試案で。

「医師 医療スタッフの確保に努めます」

 ぜひ、頑張って下さい。10年前まで医師確保するために年間5000万程度の予算を組…

不器用の一心に勝る名人はいない

「棟梁 小川三夫 技を伝え、人を育てる」
塩野米松 文春文庫

を読みました。宮大工を育てるには?育つには?
といった、小川さんが今まで30年間棟梁として行ってきたことを聞き書きした本です。

当院の院長より以前から薦められていた本でした。

医療と宮大工の世界

それぞれ異なるので、同じようにはいかないところもあるとは思いますが
共通する部分もたくさんあると思います。

「素直に物に触れる 素直に言葉に耳を傾けることが成長につながる」

「出来る最高のことをする」(道具に規定されるわけではない)

「上に人が詰まるような組織は腐っていく」

「責任は人を育てる」

「人には癖がある。その癖を見抜いて、生かしてやるのが勤め」

それぞれの言葉に重みを感じました。

特に
「不器用の一心に勝る名人はいない」
のくだり。

 私は、不器用です。わたしのことを知る人は「うんうん」と頷くのですが、
本当に不器用です。要領が悪いです。
なので、同じ結果を出すためには、人の何倍も時間がかかりました。覚えも悪いので繰り返し反復練習をしました。(医療だけでなく、受験勉強も、中学校時代の部活も・・・)
 特に医療に対しては「一心」です。
初期研修医時代の2年間は本当に物理的、精神的にその他のことを考える余裕もないぐらいに集中させてもらいました。
 たくさん叱ってもらいました。
今となってはあの修行があっての「今」だと思っています。
本当に感謝しています。

今度法隆寺へ訪れるときには、また違う感覚を覚えそうです。


穏やかな土曜日でした

昨日は、ドクターヘリ勤務。(いつも朝5時半に家を出て函館空港にむかいます)

木曜の夜病院での当直だったので、金曜日はどことなく体のだるさが残っていました。
スケジュール帳で確認すると

「あ!明日(土曜日)、ドクヘリだ!」

土曜日の朝、前日に入院になった方が数名いたので、朝空港に行くまえに病棟に寄って、カルテで研修医の先生の記載を確認して夜勤の看護師に状態を確認してから空港に向かいました。

 幸い、快晴でしたが要請は一度もなく、夕方17時30分までの待機は終了。
機材の片付けをしていたら、機関限定で同じ格納庫を使用しているカナダ軍のエアフォース隊のかたが、

「Do you want to see in ?」

と機体の中を見せてくれました。


帰宅したのは20時30分。

子供達の笑い声・泣き声を聞きながら、週末の夜は過ぎました。

次へのステップ

今日夕方職員集会開かれ、院長への質問、また院長から経緯などの話をする機会が設けられました。

 職員からは、数名の方から質問や今までの感謝を伝える言葉がありました。
院長からは、10年前からの経緯。松前のことが好きであること(生まれ育った札幌以外で10年という長い期間過ごしたのは松前だけであるため愛着もあることなど)、ここの町民や職員にいろいろと教えられたこと、勉強になったことを述べた後、この3年、4年がとても辛かったことを話されました。

 努力しても為し得ることが出来ないむなしさ

を感じたということ。こちらがまっとうな話をして、客観的数値も出しているのにもかかわらず、話が全然進まないこと、見当違いなことで訴えられたこと(当然勝訴)などで身も心もズタズタになったこと。

「これ以上、ここで私が男気を出して、踏ん張っても本当に心筋梗塞で死んでしまいそうです。それに、ここで残ってしまったら、『医者は耐えてやってくれる』ということになってしまう」

 「冷たいように感じるかもしれませんが、皆さん町民で町を変える行動をして下さい。」

 「疲れました。次のステップに進みたいと思います」

以上のようなこと(一部言葉が正確ではないかもしれませんが大筋はあっていると思います)を話されました。

 涙を流す職員もいましたが、はたして院長が伝えたかったことが本当に伝わったのでしょうか。
 どんな思いで院長が辞表を出したか本当に伝わった人がどれだけいたのか、僕にはわかりません。

 ここに来た3年前、入職して1ヶ月でいろいろな問題が表出し、ずっと側で見てきました。町民の中にも入って、いろいろな町民の方にもお会いして、いろいろな場所で病院の現状、真実を話してきました。

私自身も嫌な思いをたくさんしました。言われもない誹謗中傷の手紙をいただいたり、病院で待ち伏せされたり、居酒屋に行っても
 「先生。先生は一部の情報しか知らない。本当は・・・」
と言って、間違った情報を耳打ちする人。
客観的なデータ、全ての情報を出しても、身近な誰かが言っていた噂だけを信じる人・・・

それでも、3年間我慢しました。この病院と町が全国の地域医療の一つのロールモデルになるお手伝いをさせてもらおうと。介護施設職員との勉強会・救急隊との勉強会・初期研修医や医学生の教育の場の提供。すべては、地域医療の継続的な医療の担保のためです。そしてこの町の本当に困ってい…

無事終了

無事に終了しました。
当院で今までやってきたことの一つ。

「研修医教育」

が当院の医療の質の担保、地域の医療の質の担保にもつながっているのでは?という発表。

毎年24人前後の初期研修医を受け入れてました。
彼らが感じて帰ったことは、
元々の所属病院と変わらない、それ以上に充実して「医学を学んだ」ということ

それがあるから、後輩にも勧めてきたと。

地域にこのように教育環境の整った病院があるというのは宝だったのですが、残念です。

たくさんの方にも会えました。また、1枚のチラシから
今後どうするかへの道も少し広がりました。

なにか頑張っていると、いろいろなタイミングとご縁があるのかもしれません。

週末はプライマリケア学会学術集会

今週末、全国プライマリケア連合学会の学術集会が浅草で開かれます。1年に一度の学術集会です。いろいろな地域で頑張っている医療者が自分たちの研究や活動を発表します。
 当院木村院長は、副理事長のため少し早く東京に向かいました。
 当院は全員が全科診療医であるため、プライマリケア学会の認定医や指導医を持っている人が多いです。そのため金曜日の午後から日曜日までは7人中5人が松前から離れます。
(なかなかそのようなことは最近なかったのですが・・・)(当直応援医師は一人来られます。)

 私も、ポスター発表ですが行ってきます。

「初期研修医が地域医療研修で何を求めているか。」

当院に毎年24人前後の初期研修医が全国から来ていました。その彼らからの生の声をデータ分析して、なぜ当院に来るのか?をまとめました。
 電車も通っていない、北海道といっても、本州の皆さんが想像するような広大な畑があるような北海道でもない、病院の建物も新しくない、地元出身の初期研修医でもない...こんな病院に毎年「先輩から勧められて」とか「大学の授業で話を聞いてとても興味を持った」とかいろいろな理由で来てました。

 まとめていると、それでも共通することはやっぱり○○でした。(発表前なので)

発表前にこのような今の医師体制が大きく変わりうることが公表されました。
 今までの経緯を側で見てきた私からすると、当然のことだと思っています。

もういいんです。3年前にも同じことを町民・町民を代表する方々に言い続けました。患者さんにも言い続けました。それでも変わりません。
「新しい病院を建て替えるんだから、病院はなくならない」

確かに、箱物としての「病院」はなくならないでしょう。

慢性疾患で通院されている人からすると痛くも痒くもない高血圧・糖尿病・脂質異常症に対して、いままで通りの薬を3ヶ月に一度とか2ヶ月に一度病院にもらいに来るだけなので、どんな医師でも変わりはないのかもしれない。

 医師が減れば、夜間の救急受け入れが困難になります。救急車を呼んでも、江差か木古内の病院までの搬送になるでしょう。施設の回診・訪問診療は難しくなるでしょう。透析もどうなるかわかりません。入院ベッドも維持できないでしょう。(ベッド数に対して地方交付税が入っていることも町政のかたは知っていてのことでのこの結果でしょうから)

 院長がここに来た10年前と医療情勢も大きく変わってい…

松前町立松前病院その後 決定事項

決定しました。4年前の逆戻り。 これにより、私も身の振り方を少し早めに考えることにしました。
 研修医の受け入れなどもあるためいろいろと時期を考えないといけません。